推薦コメント

敬称略 五十音順

源川三毛子の魅力は? 伊沢弘(俳優・演出家)
初演の舞台で、『三毛子や~』と、神様の声で出演させて戴いた伊沢弘でございます。「出演者自ら推薦コメントを述べるとはナンタルコトだ」とお叱りを受けるかも知れませんが、そこは神様、神頼みされて断れない気質ですので、ノコノコ登場した次第であります。
……『三毛子や~』……
さて、「三毛子」を演じる源川瑠々子さんは、三越劇場の空間と時間を、ほんわかふわふわと埋めてくれる、不思議な力をもつ魅力的な女優さんであります。 原作者の漱石は、主人公の「我が輩」が気分がすぐれず朋友の三毛子のもとを訪問し話をしたときの心持ちを、次のように著わしております。『いつの間にか心が晴々して今までの心配も苦労も何もかも忘れて、生れ変ったような心持になる。女性の影響というものは実に莫大なものだ。吾輩はしばらく恍惚として眺めていた』う~ん。まさにこれであります。観客の目に映る舞台の源川三毛子は、物憂げで、品よく、お茶目で、ときには艶やかに、観客の心を癒してくれるのであります。 きっと、再演においても、さらにその魅力を倍増し磨きをかけて尻尾を振ってくれるものと期待しております。
……『三毛子や~』……
私も劇場のどこかで「我が輩」と一緒に見守りたいと思うのであります。
現代に甦る文芸誌「ホトトギス」 稲畑廣太郎(俳誌「ホトトギス」主宰)
俳句雑誌として生れ、現在も俳句雑誌として刊行を続けている「ホトトギス」は、明治40年代の一時期、俳句中心から、小説等の文芸を中心とする雑誌に変貌していました。そのきっかけを作った作品が夏目漱石の「吾輩は猫である」なのです。「ホトトギス」が文芸誌としての黄金時代を築いた時代背景を、この作品を通してコミカルに、又愛情深く描いた舞台がこの「三毛子」であります。今回は再演ということで、より一層磨き抜かれた舞台が繰り広げられることでしょう。一人舞台とはいえ、源川瑠々子さんの抜群の演技力と歌唱力が、時には笑いを誘い、そして最後には感涙で締め括って下さる、今回もそんな感動的な舞台を堪能出来ますことを今から楽しみにしている次第です。是非多くの方に、早春の息吹溢れる三越劇場に足を運んで頂き、時空を超えた世界を心行くまで楽しんで頂きたく存じます。
春灯下 一歩に明治 香りたる   廣太郎
ひとり文芸ミュージカル 「三毛子」 川上博 (ミュージカル評論家)
 再演を重ねた夏目漱石(1868-1916)の小説「こころ」に基づくひとり文芸ミュージカル「静-しず-もうひとつの、こころ」に続く第2作、漱石の「吾輩は猫である」を原作とする新作ミュージカル「三毛子-みけこ」が三越劇場で初演された。主要スタッフ、キャストは前作同様、脚本:スミダガワミドリ、演出・音楽:神尾憲一、振付・出演:源川瑠々子。源川演じる美人猫三毛子は、オス猫たちのマドンナ。二絃琴のお師匠さんの家で飼われており、お手伝いのフユ子と暮らしている。三毛子の夢に神様がよく出てくる。声の主は伊沢弘。猫の視点で人間の得手勝手をコミカルに描いていて楽しめる。源川瑠々子一人の語りと歌と踊りで展開するユニークなミュージカル。 舞台上手奥で、神尾憲一が美しい音楽をピアノで奏でる。その後ろ姿は、もう一人の主役といえる。見終わって、ほのぼのと心温まる余韻に包まれ、家路につく。
「三毛子」と「ミケコ」 越膳夕香 (ミケコの飼い主・Handmade Bag Shop xixiang店主)
「じゃあねミケコ、行ってくるよ。いい子で留守番しててね。」と言い置いていそいそと出かけた劇場で、壁のポスターにもパンフレットの中にもミケコの写真を見つけ、嬉し恥ずかし不思議な感覚に襲われていたら、幕が開いて三毛子が登場する。舞台の上で三毛子が喋ったり歌ったりする。素敵な着物を着て、耳をぴんと立てて、尻尾を揺らせて。それにしてもよく喋る猫だ。くすっと笑わせてくれたり、ほろっとさせてくれたり。最後には危うく泣かされるところだった。変な夢を見たあとのようなふわふわした気分で帰宅したら、いい子で留守番していたらしいミケコが「にゃあ。」と迎えに出て来て、足もとですりすりする。素敵な毛皮を着て、耳をぴんと立てて、尻尾を揺らせて。「んな~う。にゃ~う。んなぁ~。」あいかわらずよく喋る猫だ。「あのね、今日はおまえの舞台を観てきたんだよ。」「んにぁ?」・・・そんなことは、もちろん初めての体験だった。
「源川さん」 櫻井智也 (劇団MCR主宰、脚本、演出、俳優)
源川さんのことはよく分かりません、何度もお会いしているけれども、例えば、普段どんな生活をしているのかまったく掴ませてくれません。そんな源川さんがひとり文芸ミュージカルをやるということで観にいってみたのですが、結局どんな人なのか分かりませんでした。だけど、そんなことはどうでもいいことで、源川さんが喋って、歌って、パタパタと動き回る姿を眺めているだけで満足している自分がいまして、向こうは自分の姿勢を崩さないのに俺ばっかりホンワリしちゃったりして、ああ、これは、猫に対する俺との関係に近いんじゃないかと思えたりしまして。きまぐれで自分を崩さず、悔しいことにかわいい、甘えたいタイミングで甘えてきたりするくせに、俺が寄ると嫌がったりする。あの猫にもう一度会って甘えてみたいから、甘えさせてくれないだろうけど、また、行ってみたいと思っています。
女性の本能に響く舞台! 鈴木万由香 (ラジオDJ/せっけん作家)
意見の対立、立場の対立、感情の対立、目的の対立…etc。事柄の大小を問わず人がいるところ、そこには常に対立があります。対立とは争いに限らず「わかって欲しい」という想いでもあるのでしょう。そんな対立の渦中にいてワケがわからなくなったとき、ちょっと視点を変えてみるのもいい。そう、たとえばネコの視点とか!源川瑠々子さんの見事なネコっぷりに引き込まれ、いつしか我身のお悩みもどこへやら。終演後には何故かさっぱりとした心持ちになっているのは「三毛子マジック」の成せる技なのでしょうか。またキモノ好きにはたまらない、レトロと斬新が同居した瑠々子さんの着こなしも必見!キモノってきれいだなと、女性の本能に響いてきます!そして何よりも、「女っていいな」と、改めて女性であることを喜びたくなるような舞台です。
ひとり文芸ミュージカル「三毛子」 再演に期待する  髙井達雄 (作曲家)
ミュージカルといえばニューヨークのブロードウェイ、ロンドンのウェストエンド、新しくはウィーンも「エリザベード」などで有名だが、その他、チェコ、韓国などでも新しいものがたくさん生まれている。しかし、私が観たものではブロードウェイの「I do Ido」が出演者二人といちばん少人数であり、一人の物は「三毛子」が初めてであった。たいへん興味深い内容で、一人で何役もこなすなど新しい試みもあり将来を期待していた。今回再演が決まったと聞き、楽しみにしている。初演の時には未消化だった部分が如何に改善されているかも、おおいに関心を寄せているところである。
今度の「三毛子」はどんな猫 谷口直人(三越劇場 元支配人)
源川瑠々子さんとは「静」という作品で出会いました。ひとり文芸ミュージカルというひとり芝居ともミュージカルとも違ういったいどういう舞台になるのだろうと自分なりに想像していましたが実際に幕が開くとそこには想像とはちがう独特の世界が広がっておりました。芝居の様々な要素を全てひとりで表現する。力が無ければ出来ることではないでしょう。演出の神尾さんがおっしゃておられる日本語の美しさ、日本の代表的な文学作品を歌うように語るという事が出来る唯一の女優さんなのではないでしょうか。「三毛子」では猫を表現しなくてはならないというさらに新しい要素が加わりましたが、猫の持つ人間より優れているかもしれない感性を余すとこなく表現されていたように思います。再演というのは必ずしも同じ事の繰り返しではありません。前回とはまたちがった「三毛子」に出会えるのではないかといまから楽しみにしております。
猫がいて人間がいて… 花千代(フラワーデザイナー)
三毛子再演うれしい! 初演のとき、生まれて初めて手掛けさせていただいた舞台美術。私の専門のフラワーデザインとはまた違う世界で自信がないや 戸惑うやら、、 試行錯誤を重ね、たくさんの方々のご協力のおかげで幕が開きました。この美術で一番考えたことは源川さん演じる猫と人間の目線の違い。その目線と、人間と猫のサイズ感の違いが面白く感じるような表現を取り入れました。神尾先生の自由自在なピアノと源川さんの猫そのものの軽妙な演技。猫がいて人間がいて、生活って動物と人間の上下もない平等な共生だ、ということがしみじみ感じられる舞台。三毛子は人間界のドロドロしたドラマの渦中にいても常にごはんがおいしく食べれることがいちばんの大事。でもこれは人間にとっても同じこと、美味しくごはんが食べれるって健康で心が穏やかであるということ。そんなシンプルなことを三毛子によって教えられる。 瑠々子さんのオリジナルな着物のデザインと着こなしも舞台の華!ワクワクしながら劇場へお運びくださいな。
「三毛子」よ、再び!! 藤田洋(演劇評論家)
「吾輩は猫である」は、誰もが知っている夏目漱石の国民的文芸の代表作である。発表されたのは明治三十八年(1905年)、すでに1世紀を越す歳月が流れているが、いまだに新鮮な作品だと評価されているのはなぜだろうか。それはたぶん、時代の変転に関係のない「猫」の目で描いてるからだろう。猫の目というと、くるくると変わるという連想になる。くるくる変わっても、核心さえきちんと捉えていれば猫の目は人間の目よりも鋭く、事態の真実を見抜いて逆に人間をびっくりさせるのかも知れない。ひとり文芸ミュージカル「三毛子」という名前がついて、それが再演になるという。漱石が生みの親の作品を、初演からさらに練りあげてどのように育てられたのか興味深い。源川瑠々子さんの“挑戦”を楽しみに観たい。
手づくりの温かさ感じさせた『三毛子』 森洋三 (演劇ライター)
「ひとり文芸ミュージカル」との出合いは一昨年三月の三越劇場『静』だった。夏目漱石の名作「こころ」の主人公の自殺から一年後、妻の静が先生との思い出を語り歌い、踊るというユニークな脚本のアプローチとミュージカルの新人・源川瑠々子のフレッシュなヒロイン像に魅了された。「ひとり文芸ミュージカル」の名称にはミュージカル評論家・瀬川昌久氏の推挙があったというが、確かに文芸作品を読むような、そして原作を読み直したくなるような香り高い舞台で、私小説的ミュージカルとでもいえようか。その第二弾が、やはり源川と、神尾憲一(脚本・音楽・演出)コンビによって漱石原作「吾輩は猫である」をもとに生まれた『三毛子』。こちらは平塚らいてう、与謝野晶子らしき人物まで登場するややコミカルな創作で、漱石家(?)に近い二絃琴師匠宅に飼われた美人猫を神尾の親しみやすい音楽に乗って生き生きと演じる源川、透明感のある舞台美術など初演舞台は手づくりの温かさを感じさせた。
三毛子は「青足袋をはいたネコ」?! 米田佐代子(女性史研究者)
 源川瑠々子さんとの出会いはまったくフシギ。信州四阿山麓に建てた平塚らいてう記念「らいてうの家」に瑠々子さんがみえたとき、偶然わたしがいたのです。若い方にしては『青鞜』や明治時代のことをよくご存じ、と話し込むうちに彼女が「ひとり文芸ミュージカル」に挑戦中の女優さんで、夏目漱石の「吾輩は猫である」をもとに『三毛子』を演じる予定ということがわかりました。 それからお付き合いがはじまり、とうとう友人にも宣伝して『三毛子』を観たのですが、これがまた抱腹絶倒。なにしろ二絃琴のお師匠さんと「下女」の冬子さんが口角泡を飛ばして「女性は働くべきか、子育てに専念すべきか」と大論争。三毛子は『青鞜』ならぬ『青足袋』という雑誌を広げて「元始、メスネコは太陽であった」と読み上げるのです。男の漱石さんも「吾輩」も顔色なし。薄命の三毛子に語らせるあたりは「フェミニズム的悲喜劇」の面目躍如でした。 ペロー童話に「長靴をはいた猫」というのがありますが、三毛子はさしずめ「青足袋をはいたネコ」かしら。再演を楽しみにしています。